加賀友禅の歴史

加賀友禅の歴史

桃山末期から江戸時代にかけて、加賀にはすでに約200軒の紺屋があったと言われており、 当時は藍染を主とした紺屋、紅や茜を主とした茜屋があり、加賀のお国染めとして種々の染色がなされていました。 加賀友禅の染色技法が確立されたのは、江戸元禄の頃、 宮崎友禅斎により始められた と言われています。

加賀友禅の歴史は、加賀藩の文化振興政策の庇護のもと、従来からの染色技法に加え色絵、 色絵紋などの技法が加わり確立・発展をしていった「 江戸時代」、 江戸後期より明治、大正へと続く「 近代」、 さらに戦前・戦後から現代にその精華が引き継がれている「 現代」の大きく三つの時代に分かれているようです。

友禅の祖 宮崎友禅斎

友禅斎自画像染幅

友禅斎自画像染幅

宮崎友禅斎については、「扶桑画人伝」によると「京都の人なり染物を業とす。後加州金沢に移住して 専ら職業を研究し遂に一家の風を興して友禅染と称誉す、之より画を巧みにして頗る妙手なり、 絹本に染物絵を写して其精密なること他人の及ぶ所にあらず」と紹介されています。

実は、宮崎友禅斎は石川県の能登穴水の生まれで、京都の知恩院前で扇絵を描き、晩年に金沢に帰り、 紺屋頭取黒梅屋のもとで染め衣装の下絵を描いていたと伝えられています。

友禅染の紺屋は、京都・江戸・金沢の三大都市にほぼ集中していましたが、その創始者が京都で染め技術を考案し、 金沢で確立されたことから、加賀友禅が特化されていったのでしょう。

江戸時代の加賀友禅

江戸時代前期には藍染、梅染、茜染などの無地染が染められており、加賀友禅の祖と言われる宮崎友禅斎が 活躍していた記録は、天和2年(1682年)から宝永7年(1707年)ころですが、それ以前の正保年間に一陳糊の 技法が開発され、色絵、色絵紋がはじめられていたと記録されています。

加賀紋

加賀紋

色絵は、絵画を染色の技法で表現したもので、主として軸や帛紗などに用いられ、色絵紋は衣服の紋の周囲を 模様で囲ったもので、後に加賀紋と云われました。

加賀紋の特徴は、通常の家紋の廻りを花の丸などの絵紋用で飾るデザインであり、元禄の前の貞享年版の 「男色大艦」に「ものやわらかげに美しげなる男の、下には紫縮緬の引きかえし、上に黒羽二重の両面芥子人形の 加賀紋・・」の記述があります。 加賀紋は衣服ばかりでなくのれんや帛紗などにも用いられ、友禅染の技法の象徴ともなっています。

現在、主に加賀紋をモチーフとしたデザイン講座を予定しております。 開講いたしましたら、ぜひその伝統の技を皆様も習得してみて下さい。

近代の加賀友禅

江戸時代後期の染色の技法には、浸染と引き染、それに糸目糊あるいはせき止め糊による挿し友禅、 型紙による摺込友禅、防染糊による小紋や中型の型染、そしてそれらの組合わせによる技法など種々の技法があり、 それぞれ専業化され、その職種によっては模様師などと呼ばれていました。

明治時代・紺屋の巻見本帳

明治時代・紺屋の巻見本帳

当時全国の染色の大部分の図案がパターン化され、模様化されていましたが、金沢では紺屋棟取によって絵師が かかえられ、その絵模様にもとづいて友禅が描かれました。一説には、当時の京都、江戸、浪花の大都市などの絵師は 装飾画の需要が多かったのですが、加賀では装飾画の需要が少なく、逆に工芸が盛んであったため、絵師は九谷焼や、 輪島塗、加賀友禅の下絵の仕事があり、そこでは優秀な絵画調のデザインがなされたと言われています。

明治になって、化学染料が次々と開発され、量産が可能な現在の型友禅(写し糊)や捺染プリントの基礎となった 染色技術が生まれました。

この長町友禅館を主宰する染元「千紅」は、唯一の江戸時代から引き継がれている手描き加賀友禅染の 染元(表紺屋)です。

その染元千紅の歴史は、別ページにてご紹介 しています。

現代の加賀友禅

戦前戦後の一時期、奢侈(しゃし:おごり、ぜいたく)禁止令などによって、加賀友禅もかなりの打撃を受けた 時期がありましたが、昭和28年宮崎友禅斎生誕300年祭の頃を契機として、加賀友禅も隆盛に向かいました。

加賀友禅染色団地

加賀友禅染色団地

友禅技術もいっそう進歩し、加賀の産地でも昭和43年には型友禅と地染め工場の水洗共同作業場を中心とした 協同組合加賀友禅染色団地が金沢市専光寺町に設立されました。同50年には国の伝統的産業工芸品の指定を受け、 同57年には金沢市兼六町に加賀友禅伝統産業会館が建設されるなど、友禅業界の協業化が進みました。

近年では、全国の友禅染の大部分の主要な産地が染色技術の合理化を進めてきたのに対して、金沢では工程の中に 数多くの手仕事の部分を残し、伝統の技法による手のぬくもりや、作者や職人の心を伝えるものと感じられます。

しかしながら、現在、加賀友禅の作家や職人の後継者が不足していることは否めません。この伝統が後世にも 引き継がれるよう、新たに加賀友禅に携わることを目指す人の誕生が望まれています。

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加賀友禅 年表

1630~1644
加賀染めに模様加工の記録(色絵、色絵紋、兼房染)あり
1653 貞応 3年
宮崎友禅斎 生誕(とされる)
1692 元禄 5年
宮崎友禅斎 京都智恩院前にて扇絵師の記述あり
1712 正徳 2年
宮崎友禅斎 京都より、加賀金沢に移住
1718 享保 3年
金沢の絵師、車屋善兵衛筆「今様染分四季雛形」刊
1720 享保 5年
染絵「紫式部石山観月図」に、加賀藩紺屋太郎田屋茂平の名あり
1736 元文 1年
宮崎友禅斎 金沢木町にて没す。
1758 享保 5年
太郎田屋 金沢竜国寺に、友禅碑を建立
1724 
この頃 友禅小袖、茶や辻模様盛ん。
1923 大正12年
友禅堂建立(金沢竜国寺境内)
1925 大正14年
染物同業組合結成
1932 昭和 7年
加賀友禅研究会より 新様加賀友禅の雛形刊行
1935 昭和10年
友禅斎200年忌 祭典と友禅新古美術展
1940 昭和15年
七七禁令(贅沢等の禁止)公布
1955 昭和30年
木村雨山 加賀友禅技法で重要無形文化財に指定
1970 昭和45年
共同組合 加賀友禅染色団地発足
1973 昭和48年
長町に加賀友禅工房「彩筆庵」開設
1973 昭和48年
加賀染振興協会が法人化(共同組合)
1975 昭和50年
加賀友禅が国の伝統的産業工芸品に指定される
1976 昭和51年
伝統工芸士に梶山、能川、成竹氏が認定
1978 昭和53年
石川県無形文化財加賀友禅技術保存会が発足
1988 昭和63年
加賀友禅伝統産業会館開設
1991 平成 3年
木村雨山生誕100年記念展開催
2003 平成15年
長町友禅館開設(彩筆庵を統合移転)
2004 平成16年
ミス加賀友禅コンテスト始まる